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《明石家さんまの声が聞こえない…!》「もう寿命くるやろ」冠番組初の“テロップ対応”も…自身の喉の不調に「辞めなしゃーない」

あの“お笑いモンスター”に異変が起こっている──。7月20日から21日にかけて生放送された『FNS 27時間テレビ』(フジテレビ系)に、5年ぶりに出演したお笑い芸人・明石家さんま(69)。

明石家さんま (c)日本テレビ - あのちゃん、歯が足りない錦鯉・長谷川雅紀に「かわいい!」 [画像ギャラリー 19/19] - 音楽ナタリー

「声が枯れすぎて聞こえない」「声カッスカス」「全然聞こえない」──などとSNS上で話題となったのは特徴あるしゃがれ声の不調についてだ。この日はコーナーの冒頭から声に”違和感”があった。あるスポーツ紙記者が語る。

「さんまさんはラジオ番組『MBSヤングタウン土曜日』で、この日生放送のスタジオに向かう途中、運転しながら松山千春さんの『大空と大地の中で』を歌っていたところ、いきなり声がかすれたと明かしています。本人も『おかしいな』と感じつつも、声が出にくい状態で番組にのぞんだため、後輩芸人たちからとても心配されたようです。

また同月23日に収録した『(踊る!)さんま御殿(‼︎)』(日本テレビ系)でも、ほとんど声が出ない状態だったという話です。オンエアの際には、さんまさんの声にテロップが入るという番組史上初の対応となり、SNS上では〈さんまさん大丈夫か〉〈病気を心配するレベル〉などの声が多く寄せられました」

その後、さんまは『さんま御殿』で、声の不調について、「2週間くらい前から寝るときに冷房をつけていた」と説明し、エアコンをつけるのを止めてからは声の調子が落ち着いたとも話していた。

若さの秘訣は“あれ”を再現?明石家さんまは日常で実践「今も聞く、俺も」 - LOCARI(ロカリ)

直撃に「もう(声の)寿命くるやろ」

この騒ぎからまもなく5ヶ月──12月1日放送の『誰も知らない明石家さんま』(日本テレビ系)でVTR用のインタビューに応じたさんまだったが、またもや声を出しづらそうな様子を見せていた。実際の映像を見ると、ナレーションでは「この日は何十年に一度の声ガスガスの日だったが、インタビューを決行」と説明があり、さんまが喉をケアするスプレーを使うような一幕も映っている。

SNSでふたたび心配の声があがるなか、NEWSポストセブンは12月某日、さんまの姿を渋谷区内でキャッチ。“喉の不調”について本人に直接尋ねた。

──さんまさん、突然すみません。

「おう、誰や」

──『NEWSポストセブン』です。

「あいよ、何や」

──夏ごろから喉の調子が悪いと心配されていますが、最近はいいがですか。

「知らん、こんな声や。もう行くど」

──喉の調子はいいですか。

「ずっと普通や。どうや、悪いやろ」

──しっかり話されている感じがしますが、ご自身としては不調ですか。

「これ声じゃないみたいやろ俺の。もう20年前から」

──「50歳のころに医者から180歳の声と言われた」とおっしゃっていましたが、あれから病院には通っていますか。

「行ってない行ってない、このままや。んだからもう(声の)寿命くるやろ」

そう持ち前のサービス精神で答えてくれたさんま。直撃すると、時間さえあれば記者の質問に応じてくれることで有名だが、この日も笑顔を交えつつの“神対応”だった。続けてこう答えた。

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この話を聞いてゾッとしました..GACKTってTV番組が始まる前に裏で●●してたんですよね..【ひろゆき 切り抜き 論破 ひろゆき切り抜き ひろゆきの控え室 立花孝志 芸能人格付け ガクト】

ガクトさんが出演するテレビ番組「芸能人格付けチェック」の裏側について、ひろゆきさんが興味深いエピソードを語りました。ひろゆきさんは、ガクトさんが東京に到着した日に衣装合わせを行った際のエピソードを紹介しました。ガクトさんは成田空港の最終便で到着し、衣装合わせには約2時間を費やしたといいます。一方、ひろゆきさんは衣装合わせに要した時間は20分にも満たなかったとのことです。この対比から、ガクトさんのプロ意識と準備に対する真剣さが伺えます。 また、ガクトさんは元々ビジュアル系バンド「マリスミゼル」のメンバーであり、彼の演技に対するアプローチも特異です。演技の際には、自身をどう見せるかを常に考え、監督とのコミュニケーションを大切にしているとひろゆきさんは語りました。このような姿勢が、彼の演技力を支えているのでしょう。 さらに、ひろゆきさんは、テレビ業界で長く活躍するタレントたちの人柄についても触れました。彼は、成功するタレントは基本的に良い人であり、業界内での振る舞いが重要だと指摘します。特に、ジャニーズのタレントは現場での評判が良く、これが彼らの活動の広がりにつながっているとのことです。 ひろゆきさんは、テレビ番組が視聴率を稼ぐために演出を行う必要があることも強調しました。視聴者を楽しませるためには、ある程度の演出が避けられないとし、これがエンターテインメントの一環であると認識しています。このように、彼の発言からはテレビ業界の裏側や、タレントたちの人間性への深い理解が伺えます。

離婚後の中山美穂さんが「泣き崩れた」ドキュメンタリー映画 20年来友人が秘話

アイドルそして女優と、昭和から平成の芸能界を彩った中山美穂さんが入浴時の不慮の事故で亡くなった。まだ54歳だった。 1985年にデビューし、トレンドが目まぐるしく変わる芸能界を生き抜いてきた。2000年代に入ると結婚、渡仏、出産と、プライベートで転機が訪れた。 パリでの子育て時代から20年来の付き合いだった友人は、日常生活での中山さんをよく知っている。「ママの美穂ちゃんは、家庭的でお料理作ったり、息子さんのために甲斐甲斐しくやってました」 驚いたのは、その器用さだそう。 「とにかく刺繍の腕はプロ級で、一時期オートクチュールの学校にも通ってました。手仕事が大好きと言って、時間があるとミサンガみたいなブレスレットを作ってました。3・11(2011年の東日本大震災)の時のチャリティー活動でも、手作りの物をたくさんバザーに出してくれましたよ」 14年の離婚でまた転機を迎えた。その翌年公開の英映画「AMY エイミー」を、友人は中山さんと2人で見に行った。その時のことは今も鮮明に覚えているという。 同作は孤高の天才シンガー、エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー。08年の米グラミー賞で5冠を獲得するなど将来を期待されるも、エイミーは私生活で飲酒、薬物などのトラブルが絶えず、11年にロンドンの自宅で死亡した。まだ27歳という若さだった。 「映画を見終わると、美穂ちゃんは泣き崩れるようにしてその場でうずくまってしまいました。全盛期に歌い続けた自分とエイミーがリンクして、感情があふれたんでしょう。ことあるごとに歌への情熱を口にしてましたから」 当時すでに、中山さんは映画の何たるかを知っていたはずだ。豊川悦司とダブル主演し、岩井俊二監督初の長編映画「Love Letter」(95年)は、いわゆるアイドル映画とは一線を画す代表作に。韓国などアジア圏でも大ヒットした。 パリ在住時代の12年には、オールパリロケの映画「新しい靴を買わなくちゃ」に主演。岩井氏がプロデュース、脚本家の北川悦吏子さんがメガホンを取り、3人で約5年間あたためていた企画だ。中山さんの人柄が分かる撮影エピソードを、ベテラン映画ライターが明かす。 「地元・パリでのロケということで、なんとロケハンは中山さんがやったそうです。撮影期間は2週間だったので、彼女は演者やスタッフのアテンドまで。常に寡黙に、きっちりやり遂げてくれたと聞きました。中山さんはスタッフ受けが本当によくて、映画業界ではひたすらいい人だったって話しかありません」 円熟した魅力を、もっとスクリーンで見せてほしかった。

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