アイドルそして女優と、昭和から平成の芸能界を彩った中山美穂さんが入浴時の不慮の事故で亡くなった。まだ54歳だった。
1985年にデビューし、トレンドが目まぐるしく変わる芸能界を生き抜いてきた。2000年代に入ると結婚、渡仏、出産と、プライベートで転機が訪れた。
パリでの子育て時代から20年来の付き合いだった友人は、日常生活での中山さんをよく知っている。「ママの美穂ちゃんは、家庭的でお料理作ったり、息子さんのために甲斐甲斐しくやってました」
驚いたのは、その器用さだそう。
「とにかく刺繍の腕はプロ級で、一時期オートクチュールの学校にも通ってました。手仕事が大好きと言って、時間があるとミサンガみたいなブレスレットを作ってました。3・11(2011年の東日本大震災)の時のチャリティー活動でも、手作りの物をたくさんバザーに出してくれましたよ」
14年の離婚でまた転機を迎えた。その翌年公開の英映画「AMY エイミー」を、友人は中山さんと2人で見に行った。その時のことは今も鮮明に覚えているという。
同作は孤高の天才シンガー、エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー。08年の米グラミー賞で5冠を獲得するなど将来を期待されるも、エイミーは私生活で飲酒、薬物などのトラブルが絶えず、11年にロンドンの自宅で死亡した。まだ27歳という若さだった。
「映画を見終わると、美穂ちゃんは泣き崩れるようにしてその場でうずくまってしまいました。全盛期に歌い続けた自分とエイミーがリンクして、感情があふれたんでしょう。ことあるごとに歌への情熱を口にしてましたから」
当時すでに、中山さんは映画の何たるかを知っていたはずだ。豊川悦司とダブル主演し、岩井俊二監督初の長編映画「Love Letter」(95年)は、いわゆるアイドル映画とは一線を画す代表作に。韓国などアジア圏でも大ヒットした。
パリ在住時代の12年には、オールパリロケの映画「新しい靴を買わなくちゃ」に主演。岩井氏がプロデュース、脚本家の北川悦吏子さんがメガホンを取り、3人で約5年間あたためていた企画だ。中山さんの人柄が分かる撮影エピソードを、ベテラン映画ライターが明かす。
「地元・パリでのロケということで、なんとロケハンは中山さんがやったそうです。撮影期間は2週間だったので、彼女は演者やスタッフのアテンドまで。常に寡黙に、きっちりやり遂げてくれたと聞きました。中山さんはスタッフ受けが本当によくて、映画業界ではひたすらいい人だったって話しかありません」
円熟した魅力を、もっとスクリーンで見せてほしかった。