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中山美穂さんと親友の男性芸人 遺体と悲しみの対面「いつもの寝てる姿と変わらない」

お笑いトリオ・インスタントジョンソンのじゃいが10日、自身の公式ブログを更新。自他ともに親友と認め、6日に都内の自宅で死去した歌手、女優の中山美穂さんの遺体と対面したことを明かした。

中山美穂さん

じゃいはブログで「最後の訪問」とし、中山さん遺体が安置された自宅を訪問したことを明らかに。その様子を「部屋に入ると、中央にあるベッドの上に美穂ちゃんは眠っていた。訃報を聞いてから初めての対面。分かってはいたことだけど、やはり泣いてしまった。『ほんと、何してくれてんだよ』震えた声でそう言ったが、美穂ちゃんは知らんぷりしている。今にも起きてきて『ちょっと、あんたたち何してんの?』と言いそうなくらい、いつもの寝ている姿と変わらない様だった」とつづった。

一緒に部屋にいた中山さんの妹で女優の忍にも触れ、「忍ちゃん含め、その部屋に居た全員が『本当に凄い人だったんだね』と改めて共感した」としみじみ。「泣いているし、目の前にいるのに、やっぱり受け入れられずにいる。脳がバグってるようだ」と本音を告白した。

中山さんの部屋の思い出を「飲みに行った後にこの部屋でまったり話すこともあった。鍋パーティーをしたこともあった。忘年会もした。夜中に酔っ払いながら『お酒買ってきて』と呼び出されたこともあった。改めて考えたら、意外と料理が上手だったなぁ」と述懐したじゃい。「この部屋に来るのはこれが最後になるだろう。お別れの挨拶に来たつもりだったけど、最後は『美穂ちゃん、バイバイ、またね』と手を振って部屋を出た」と締めくくった。

 

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機体にいくつもの“穴”…トラブル起きたエンジンから破片飛び散ったか 専門家は撃墜やバードストライクは“否定” アゼルバイジャン航空機墜落

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マツコ 身長5センチ減に“命の危機”感じて引っ越し決意…終の住処の「意外な有力候補」

「マツコさんは年々身長が縮むことで死の危険すら感じたようで、ようやく本格的に対策を練るようになったそうです」(制作関係者) 12月9日、マツコ・デラックス(52)は『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)で、自らの身長に関する事実をこう告白していた。   「去年から今年にかけて人間ドック、1年ぶりに受けたら1センチ縮んでた。その前も5ミリぐらいずつ毎年身長が縮んでて、この10年で5cm縮んだの!」   前出の制作関係者は続ける。 「実はマツコさんの身長が縮んでいることは同じ番組内で2年半前にも話題にしていました。番組内で整形外科医に聞いたところ、50歳前後で身長が減る理由は大きく分けて3点あると解説していました。1点目は骨粗しょう症で骨がもろくなり、体の重みに耐えきれず、背骨がつぶれているケース。2点目は椎間板の厚みが減少し、加齢現象として無症状で進行していくケース。そして3点目は、単純に姿勢が悪くなり、背中が丸くなっているケース。マツコさんは整形外科での受診を勧められていましたが、放置していたところ、昨年、中高年の身長減に関する統計が出て、また気にするようになったようです」 その統計とは、’23年3月に発表された福島県立医科大学などの研究者たちの論文だった。 「40歳以上の日本人約22万人のデータを分析した結果、身長が2年間に0.5センチ以上縮んだ人は死亡リスクが約26%上昇することが明らかになったのです。身長が0.5センチ以上短くなっていた男性は、そうでない男性に比べて高身長で、心血管疾患(心筋梗塞、狭心症など)の既往歴がある人、高血圧の人が多い傾向があることなどがわかったのです。 かつては、“高齢になって身長が2センチ以上縮むと、死亡率が約2倍アップする”という産業医科大学による調査結果もありました。骨折、心筋梗塞などの心血管疾患のリスクが増大するというのです」(医療ジャーナリスト) 柏の葉整形外科の山田睦雄副院長は、マツコの身長減について、こう分析する。 「マツコさんの場合は、椎間板がつぶれてきているのではないかと思います。体重による腰椎への負荷はリスクになることもあります。また、ふだん歩かなかったり、筋肉を使わないと、骨がもろくなるリスクは高まりますよね」 マツコ本人も、身長減のリスクをようやく認識し、ある“結論”にたどりついたようだ。9日放送の番組で、こう続けて話していた。 「身長が縮んでるんですよ。日に当たってないから! どんどん腰が曲がってきて。とりあえず日の当たる家に引っ越したらダメ? 本当にこれ、まずいのよ、日に当たらないと……」 現在、マツコは都内でマンション暮らしをしている。だが、日光が当たらない場所だと同番組では力説していた。 「私、本当に日に当たっていないのよ。うち窓が開かないのね。ビルの上にあるマンションで。直射日光じゃないとダメなんだって」 ’25年は日当たりのいい家に転居したいというのだ。“死にたくない”ため、ついに動きだしたマツコ。身長減対策に日光は本当に効果的なのだろうか。前出の山田副院長はこう語る。 「日差しを受けることで、全く効果がないわけではないです。日光に当たって活性型ビタミンDが作られることで、腸管からのカルシウムの吸収がよくなり、骨密度が上がることにはつながるでしょう。若いころからずっと日光が降り注ぐ屋外で運動していた方は、中高年になっても骨密度が保たれることが多いとはいわれています」

「中尾ちゃんはもう居ないのか…」女優・岩下志麻が語った「中尾彬の素顔」

’71年、松竹の『内海(ないかい)の輪』で共演し、親しくなったのが中尾さんとの交流の始まりです。その後、50年以上もお友だちとして素敵な時間を過ごせたことは、私の財産となっています。 私が主演した「極道の妻(おんな)たち」(’86~’98年)ではヤクザ役を演じておられました。撮影に入ると″本職″そのままの雰囲気に一変しますが、カットがかかると、すぐに普段の中尾さんに戻り、冗談を言って場を和ませていました。 中尾さんとは、作中で争ってばかり。4作目の「最後の戦い」で、担架で救急車に運ばれる中尾さんのこめかみに拳銃を当てて、撃つシーンがありました。こめかみにずっと銃口を当ててスタンバイしていたら、担架に寝ている中尾さんが「志麻ちゃん、銃口少し外してよ」と小声でささやいてきました。「ちょっと怖いよ」とつぶやいていたのが可愛くて――今も忘れられません。 訃報を聞いた後、テレビを観ていると、中尾さんご夫妻と鈴木福さん(20)が共演されたCMが流れてきました。「中尾ちゃんはもう居ないのか」と寂しさがこみ上げてきたのを思い出します。 『FRIDAY』2025年1月3・10・17日合併号より

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