「1970年代後半、TBSの木曜枠は石井ふく子先生が手がけるホームドラマ、金曜枠は辛口の社会派ドラマが放送されていました。私は金曜枠にお声がけいただく機会が多く、『岸辺のアルバム』の出演依頼もその流れだと思っていたんですが、まさかこんな暗い役だなんて、思いもしませんでした」
こう出演経緯を振り返るのは中田喜子さんだ。まず台本を読んで、悩まされたのは“不機嫌な女子大生”だった。
「役作りのため、当時、住んでいた場所の近所にあった青山学院大学に足を運んで不機嫌な大学生を探したんですが、なかなか見つからなくて……」
だからこそ、脚本家や演出家と“格闘”しながら役を作り上げていったという。
「山田太一さんの脚本は、接続詞を含めてセリフひとつ変えることができません。しかも、普通はセリフとセリフの間にト書きがあるものですが、山田さんの脚本は、セリフの中に《お茶を2回すする》などとト書きがあるんです。食事シーンが多かったので、演じるのが大変でした」
こうした細かい制約のなか、鴨下信一さんがキャラクターを際立たせるための演出を手がけた。
「鴨下さんは“この作品で認められなかったら演出家をやめる”という覚悟で臨んでいたそうです。だから、本当に厳しくて、私と国広富之さんは必ず居残りさせられました。すごい言葉で叱られたものです。高校生役の国広さんも、お茶わんを洗うシーンで『高校生が両手で茶わんを洗うか!』って怒鳴られたりしていました。今振り返るとありがたいことなんですが、当時は登校拒否のように、TBSに行く日は足が重くなってしまっていました(笑)」
山口いづみと意地の張り合いで服を脱ぎ合うシーンでは、鴨下さんから役になりきって、自分で下着を買ってくるように指導された。
「あのシーンでは下着まで脱いだように見えますが、実際は肩や胸のラインまで見えるような下着姿で、あとは買ってきた下着をお互いただ投げ合っているだけ。ちょっと興ざめですよね」
象徴的なラストシーンでは、自然の演出もあったという。
「台風で家が流されてしまうシーンは、多摩川でロケーションをしたんです。実は前日が豪雨で、水位が上がっていたから、よりリアルな映像に。ドラマの評判が上がると、さまざまなものが味方するといわれているんです。これも鴨下さんの執念があったからかもしれません」
【PROFILE】
なかだ・よしこ
1953年生まれ、東京都出身。1972年にドラマデビュー後、数多くのドラマ、映画に出演。1990年に始まった『渡る世間は鬼ばかり』シリーズには20数年にわたって出演した。また、DIYの達人としても知られている。