乗客を乗せたタクシーにはねられ女性死亡 “逃走”した運転手を確保(2024年12月14日)
東京・荒川区で、横断歩道に倒れていた女性がタクシーにはねられ死亡しました。警視庁は、ひき逃げ事件とみて逃げたタクシーの運転手から事情を聴いています。 14日午前3時半すぎ、荒川区東日暮里の路上で「ひき逃げです」などと目撃者から119番通報がありました。 警視庁によりますと、横断歩道に倒れていた50代とみられる女性を乗客を乗せていたタクシーがはね、そのまま逃走したということです。 女性はその後、死亡が確認されました。 逃走したとみられるタクシーはおよそ1時間後に4キロほど離れた足立区で見つかりました。 警視庁は、女性の身元の特定を進めるとともに、タクシーを運転していた70代の男性から話しを聞くなどして、当時の詳しい状況を調べています。
中山美穂さんの遺体“空白の24時間”への疑問を遺体管理学の権威が指摘「遺族の希望を最優先にすべき」
12月6日、自宅の浴槽で亡くなっていたのを発見された女優の中山美穂さん(享年54)。12日には家族葬が営まれ、妹で女優の中山忍が喪主を務めた。 パリから20歳の長男も駆けつけ、中山さんに対面。忍は、葬儀後にコメントを発表し、《私にとって姉は「大好きなお姉ちゃん」であるとともに「みなさんの中山美穂」であり、「永遠のシャイニングスター」です》と、別れを惜しんだ。 入浴中の不慮の事故であると発表されているが、細かな事情はわかっていない。 「中山さんは6日の夕方から、大阪市内でクリスマスコンサートを開催する予定でした。新幹線で移動するため、事務所スタッフとJR品川駅で待ち合わせをしていましたが、姿を見せなかったため、スタッフが自宅に向かい、浴槽の中で前屈みに倒れている中山さんを発見しました。すぐに119番通報し、駆けつけた医師が死亡を確認したため、警察に通報したとのことです。湯は張られていたそうですが、すでに水になっていたと聞いています。事件性はありませんが、『急激な温度変化によるヒートショック』なのか、『体内にアルコールが残っていたことによる溺死』なのか、さまざまな可能性があるため、8日に解剖がおこなわれ、その後、自宅に戻りました。解剖の最終的な結果が出るまでしばらくかかるようです」(社会部記者) さらなる事故を防ぐためにも、原因究明が待たれる。ところが、ある“不審点”を指摘する人物がいる。遺体管理学の権威で、中国・長沙民政学院の伊藤茂教授だ。 「今回、中山さんの遺体は、『調査法解剖』を受けたと報じられています。しかしこの解剖は、法の趣旨に照らすと、東京都内でおこなわれるべき解剖ではありません」 そもそも、解剖には法律上、3種類あるという。 「まず『司法解剖』。これは、事件性があると捜査機関が判断した場合におこなうもので、今回は関係ありません。次に『行政解剖』です。これは、遺体の死因究明を目的とするもので、死体解剖保存法に基づき、遺族の承諾なしに実施できます。ただし、行政解剖をおこなえるのは監察医のみ。現在、監察医が置かれているのは東京23区と大阪市、横浜市、名古屋市、神戸市のみです。それ以外の地方では、行政解剖に準じるものとして、遺族の同意を取ったうえで、大学の医学部に設置されている法医学教室に解剖を依頼します」(伊藤教授・以下同) そして3番めが、今回の調査法解剖だ。 「これは2013年に施行された『死因・身元調査法』という法律に基づいた解剖です。“新法解剖”とも呼ばれており、監察医のいない地域でも、遺族の承諾なしに解剖ができるようになりました。しかし、逆にいえば、すでに監察医がいて、行政解剖がスムーズにできる東京都内では不要なんです」 あえて調査法解剖を選ぶことで、生まれる弊害もあるという。 「行政解剖の場合、解剖をおこなう監察医務院は、解剖の専門施設として、すぐ対応できるようになっています。しかし調査法解剖は、大学の法医学教室に頼む都合上、大学の予定に左右されます。今回の場合も、中山さんの遺体は12月6日に渋谷署に運ばれたようですが、実際に解剖がおこなわれ、遺族のもとに帰ったのは8日です。つまり、12月7日の“24時間”は渋谷署の霊安室に置かれたままだったということです。行政解剖であれば、7日中に解剖を済ませ、遺族のもとに帰ることができたはずです」 ではなぜ、わざわざ不都合な解剖がおこなわれることになったのか。伊藤教授は「いくつか原因を推測できる」と語る。 「行政解剖をおこなう監察医務院は『行政』という言葉のとおり、東京都の管轄です。つまり、都が主導権を持つことになります。一方、調査法解剖は、警察署長の判断で大学に依頼するため、主導権は警察が持つことになります。中山美穂さんの死去という“大事件”を、自分たちで牛耳りたいと考えたのかもしれません。 また、調査法解剖は2013年にできた、比較的、新しい制度です。あえてこれを利用することで、新制度の周知をはかったのかもしれません。ただ、遺族としては1日も早く解剖を済ませて、遺体をそばに戻してほしいと願うのが普通でしょう。警察のエゴでこのような解剖を選んだのだとすれば、問題だと思います」 なぜ、わざわざ中山さんの解剖を遅らせるような対応をとったのか、警視庁に質問状を送ったところ、 「個別の案件については、お答えを差し控えさせていただきます」 との回答だった。 一方、今回“スルー”された形になった東京都監察医務院に確認したところ、 「私たちに行政解剖か調査法解剖かを決める権限はなく、警視庁が決めることなので、何も申し上げることはありません」 と回答した。 「どんな事情であれ、まずは遺族の希望を最優先にするべきだと思います」(伊藤教授) 異例づくめなのは、中山さんらしいのかもしれない。
中山美穂さん“スーパーアイドル”の光と影 信頼していた相談相手が明かした「泣きながら電話してきた夜」
12月6日午後、日本中が悲しみに包まれた。1980〜1990年代をトップアイドルとして駆け抜け、女優としても活躍した中山美穂さんが、都内の自宅で死亡しているのが見つかった。享年54だった。 この日は、ビルボードライブ大阪でクリスマスコンサートをする予定だった。 「ショックです。まさかですよ。彼女は2025年、舞台の仕事が1本入っていたし、デビュー40周年のコンサートが控えていました。 2024年夏の39周年のツアーのときも、上機嫌で『39』に合わせて『サンキュー、サンキュー。来年は40周年だから盛大に。みんな来てくれるよね!』って言っていたのに」(芸能プロ関係者) この39周年ツアーのために、2024年の春から初夏にかけて、本格的にボイストレーニングを積んでいたという。 「じつは、2022年のFNS歌謡祭で、彼女が歌いだした途端、下手すぎて会場がどよめいた、とSNSに書かれたのを、ものすごく気にしていたんです。以来、本気でボイストレーニングをしていました」(同前) 中山さんの初出演ドラマ『毎度おさわがせします』(1985年、TBS系)以来、交流があるというテレビ制作者は、「ミポリンから、たまにだけど『眠れなくて』って連絡があったんだよ」と、心配していたことを明かした。 「もう10年くらい前だけど、ご病気に苦しんでいたことがあってね。(2014年に離婚し、親権を手放した)お子さんへの想いや後悔にさいなまれ、夜中に泣いて電話してくるんだよ。 最後は『こうやって話を聞いてくれるだけでもうれしい。こんな時間に話ができる人なんていないんだもん』なんて言って、電話を切ったかな。 前向きな気持ちのときもあって、新しい仕事のことを知らせてくれたりもしましたよ。ほら、今年はコンサートツアーがあったでしょ。『体力つけなきゃ』って、パーソナルトレーニングに通っていました。結果、ツアーはお客さんも入ったし、充実感があったはずなんだけど……それが終わった7月ごろかな。『燃え尽き症候群というのか、なんだか何も手がつけられない』みたいなことを言っていたんだよ。つい最近も『私なんかいなくなっても誰も悲しまない』とか言いだしてね。『ずうっと、寂しいんだから……』って、こぼしていました」 中山さんがヒロインを演じたドラマ『黄昏流星群〜人生折り返し、恋をした〜』(2018年、フジテレビ系)で取材した、ある雑誌編集者は「印象に残っている言葉があるんです」と話した。 「女優人生を振り返って、うれしかったことを聞いたときに『あまり褒められたことはないんですよ』と答えたんです」 そして、こう続けたという。 「ただ、うれしくて覚えているのは、デビューしたばかりのときに出演した『毎度おさわがせします』の監督に『嘘をつかないね』と言われたこと。この撮影のときは、ずっとしかられっぱなしだったんですが、なぜかこう褒めてもらったんです。じつは子どものころ、母親から『あなたは嘘をつかないからいいコだね』と言われて、妙にうれしいと思ったことがあって。監督からそれと同じことを言われて、ハッとしましたね。 まぁ、そのことが後々、“大人になっても小さな嘘さえつけない”というジレンマに変わっていくのですが……」 歌、芝居に“嘘”をつかず、真摯に向き合うぶん、悩みが深くなることもあったようだ。 別の芸能プロ関係者も「ちょっとお酒が大好きになっていたので、心配していんです」と話した。 「酒豪といえるほどの強さでした。さすがにコンサート近くは控えていたようですが、どうやら最近はずっと眠れなくて、朝方まで飲んでいると聞いていたんです」 最近、中山さんとよく出かけておしゃべりをしていたという映画プロデューサーも「つらいですよ。まだ、54歳でしょ」とショックを隠せない。 「この前も、妹の忍ちゃんも呼んで、一緒に喫茶店でお会いました。『最近は、妹とよく一緒に出かけるんだ』と話していましたね。忍ちゃんがお手洗いに立ったタイミングで、中山(美穂)さんが『私のことよりも、妹のことをよろしくお願いします』って頭を下げたんです。『やっと姉らしいことができるようになった』って、中山さん、うれしそうだったな」 彼女が遺した音楽、ドラマ、映画は色あせず、人々の心に残っている。ありがとう、ミポリン! そして、安らかに。