1 辻仁成氏、元妻中山美穂さんの葬儀の日に「自分の世界に閉じこもるのに…」と公式ブログに記す

芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)が12日、自身の公式ブログを更新。54歳の若さで6日に不慮の事故で亡くなった元妻の中山美穂さんの葬儀が行われた日にブログを更新した。 フランスごはん日記「窓をあけ、穏やかなノルマンディの海を眺めながら」と題した文章をアップ。 「某月某日、今日はずっと海を見ていた。ノルマンディの曇り空を眺めながら、油絵を何枚か描いた。(何枚か、というのは、スケッチのような、ラフな下書きのようなもの、完成には程遠いもの)空と海の境目のあまりはっきりとしないあたりを眺めているのが落ち着くのだった」と書き出した。 続けて「いや、正確には、もわもわ、落ち着かないのだけれど、でも、海と空の境目って、色が混ざり合って、感情が漂流しているような不思議なニュアンスがあり、そこを凝視して、カンバスに色を叩いていると、とんとんとん、心をタップされているような感じになる」とした上で「ドレミファソラシドのような音階がきれいに分かれていることを、『平均律』というのだけれど、そういう絵を描いたのだった。自分の世界に閉じこもるのに、絵を描く行為は悪くない」とつづった。

《私には帰る場所がない》ライブ前の入浴中に突然…中山美穂さん(享年54)が母子家庭で過ごした知られざる幼少期「台所の砂糖を食べて空腹をしのいだ」

あまりに突然の出来事だった──12月6日、渋谷区にある自宅の浴槽内で亡くなっていることがわかった歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)。 所属事務所は12月8日、中山さんの公式サイトで「検死の結果、事件性はないことが確認されました」と発表し、死因は「入浴中の不慮の事故」と伝えた。  1980年代半ばから90年代にかけ“ミポリン”の愛称でトップアイドル、そして女優として活躍した中山さんだが、生前、幼少期のエピソードについてはあまり語らなかったとされている。【前後編の前編】  そんな彼女も、2012年の自著『なぜなら やさしいまちが あったから』(集英社文庫)で自身の幼少期や家族について赤裸々に綴っていた。その中には、当時の暮らしぶりを表したような一節がある。 〈はじめましてとさようならはいつもセットだった──〉 “別れ”の連続だった幼少期  さかのぼること1970年3月、中山さんは長野県の自然豊かな町で生まれた。ある芸能記者は言う。 「ご両親は地元でスナックを経営されていたようです。中山さんが3歳の頃におふたりは離婚しており、彼女には実父の記憶がほとんどないといいます。その後は実母と妹で女優の中山忍さん(51)と東京へ引っ越しましたが、母子家庭のためか生活が苦しく、中山さんは台所の砂糖を食べて空腹をしのいだこともあったそう。  上京してほどなくお母さんが昼夜問わず働き詰めになり、ほとんどの時間を親戚の自宅で過ごすことになりました。  芸能界については幼稚園に入るころからすでに憧れがあったようで、親戚の家では段ボールの上に乗って『キャンディーズ』や『ピンク・レディー』の曲を歌っていたこともあったとか」  のちに中山さんはこの親戚を、トーク番組『A-Studio』(TBS系)で“育ての親”だと述べている。なかでも叔父にあたる男性については「本当の父親のように家族の一員として接してくれました」と語っており、忙しい母親に代わって愛情を注いでくれる大切な存在だったようだ。  そんな“第2の父”ともいえる男性だが、中山さんの世話をしている間に若くして亡くなってしまう。幼少期の短い間で二度も“父親”を失う体験をした中山美穂さんは、前出の自著でもその存在と自身の恋愛観を重ねてこう振り返っていた。 〈思春期からの数々の恋愛は、父親を求めるような戯れでもあった。未熟と成熟を抱えながらその中心でバランスを保つことはなく、常に激しく人と向き合っていたと思う。ほとんどの大人と異性は私に、自分で学ぶことの大切さを教えてくれた〉  この失望から束の間、中山さんにとって大きな出来事が起きる。 「中山さんが10歳くらいの頃、お母さんが秋田県出身の男性と再婚し、一緒に暮らすようになった。1982年にはその義父との間に弟も生まれており、その頃の中山さんは子どもながらに『寂しいけど、長女だからしっかりしないと』と感じていたようです。  また両親の仕事の関係で、都内で何度も引っ越しを繰り返していたことから友人と呼べる人がほとんどいなかったともいいます。連載をしていた女性誌のエッセイでは、当時の生活を『帰る場所がなかった』というふうに語ったこともありました」

中山美穂さんの親族に群がる「マスゴミ」に見えてしまう…「芸能人の死」を報じる新聞・テレビに欠けていること

12月6日、俳優で歌手の中山美穂さんが、東京・渋谷の自宅で死亡しているのが見つかった。このニュースをマスコミ各社は大きく報じた。ノンフィクションライターの石戸諭さんは「中山さんの妹である中山忍さんへの直撃取材に対して、SNS上で批判が殺到している。たしかにマスメディアのこうした報道姿勢はかなり無理のあるものだが、遺族への取材をすべてやめれば問題が解決されるわけではない」という――。 ■批判が殺到した“マスコミの遺族取材” 中山美穂さんの突然の死去が伝えられた直後から、マスメディアの遺族取材に対して批判が強まっている。著名人の死去が報じられるたびに取材姿勢への批判は出ているが、さすがに私も実の妹である中山忍さんへの取材は確かにかなり無理があったと思う。 テレビ各社はコメントを求めていたが、もし私がかつて記者として所属していた全国紙の社会部デスクならば、事件性がないと判明した時点で撤収していいと指示をした。特にコメントがなければ「突然の痛ましい死にショックを受ける様子」をわざわざ流す必要もないし、事実を伝えたければ、原稿のなかで一言触れれば事足りる。 遺族に殺到する報道陣の姿が、どう見えるのかを考えなければいけない時代にとっくに入っているのだが……。 この手の取材への批判はわかるが、他方で私はよく遭遇する著名人に限らず遺族への取材を原則辞めたほうがいいという論には与(くみ)しない。 取材現場のもう少しばかり複雑だ。 大切なのはケースバイケースで判断することであり、取材をやめることではない。閉ざしたい口を無理やりこじ開けるような取材は慎むということは当たり前だが、だからといって「マスコミの報道姿勢はおかしい」という声にいたずらに迎合して、すべてをやめる必要もない。 いま必要なのは、なぜ「ある人の死」を報じるのか。問いに答え、報道の原則にあらためて向き合い、メディアとしての考えを発信し続けることだと思うのだ。