《追悼》中山美穂さん、芸能界きっての酒豪だった 妹・中山忍と通っていた焼肉店店主は「健康に気を使われていて、野菜もまんべんなく召し上がっていた」

“ミポリン”の愛称で親しまれた元トップアイドルが早すぎる生涯を終えた。ステージで輝き、スクリーンでも才能を発揮した中山美穂さんは、時に奔放で、愛に正直だった。複雑な生い立ちゆえに追い求めた家族への愛情と晩年の孤高。一時代を築いたスターの人生を詳報する。【前後編の前編】 「6月のデビュー日にツアーの楽屋を訪ねたとき、彼女は『これからもライブがたくさん決まっているんだ』と前向きに話していました。若い頃からまっしぐらに仕事をしてきたし、忙しくて悩んでいる暇もなかったんじゃないかな。『じゃあ、またね』、『今度、食事でもしようね』と交わしたのが最後の会話です。クリスマスには会えると思っていたのに……残念でなりません」 急逝した中山美穂さん(享年54)の宣伝担当を務めた元キングレコード常務取締役の竹中善郎さんは、デビュー当時から知る彼女との早すぎる別れを嘆いた。 華やかな美貌と歌声で一世を風靡し、多くの人に愛されたスターの訃報に日本中が悲しみに包まれた。中山さんが変わり果てた姿で見つかったのは12月6日正午過ぎ。その日は夕方から大阪市内でクリスマスコンサートを行う予定だったが、生前、彼女が何よりも楽しみにしていたステージに立つことはなかった。 「当日の朝7時頃、スタッフが送ったLINEが既読にならず、待ち合わせ時刻の9時になっても連絡がつかなかった。心配した事務所関係者が自宅を訪ね、浴室で動かなくなっていた中山さんを見つけたそうです。すぐに警察と消防に通報したものの、現場で死亡が確認されました」(社会部記者) 中山さんは、芸能事務所などが入る都内のビルの住居フロアにひとりで暮らしていた。発見された際、湯を張った浴槽の中で前かがみになり、顔を水面につけた状態だったとの話もある。 「8日に死因・身元調査法に基づく解剖が行われ、所属事務所が入浴中の不慮の事故だったと発表しました。遺体に目立った外傷はなく、玄関が施錠されていたことなどから、事件性はないとみられています」(前出・社会部記者) 12月1日、神奈川・横浜で行われたクリスマスコンサートで中山さんは『You’re My Only Shinin’ Star』や『世界中の誰よりきっと』など自身のヒット曲を熱唱。MCでは2025年に未公表の大きな仕事があることなどをうれしそうに語っていたという。 2025年のデビュー40周年に向けて、精力的に活動していた中山さん。彼女の近況を知る関係者は口々に「変わった様子はなかった」と言うが、彼女は人知れず葛藤を抱えていた。終の棲家となってしまった70平米の部屋で、希代のアイドルが最期に見た光景とは──。 「眠れない」と打ち明けていた 「中山さんは長年、子宮筋腫を患っていましたが、10年近く前に完治し、ほかに大きな持病はなかったそうです。健康には人一倍気を使い、お風呂にデトックス効果のある入浴剤を入れてリラックスするのが習慣になっていました。本を読みながら長時間つかることもあったそうです」(芸能関係者) 歌や撮影の仕事があるときは、風邪で喉を痛めることがないよう、人に会わないようにしていたほどプロ意識が強かった。一方で、若い頃はたばこを吸い、芸能界きっての酒豪で鳴らした。オフの日にバーをはしごするのは日常茶飯事で、仕事中にシャンパンやワインを飲むこともあり、本人も酔うと「100倍明るくなります。楽しくて楽しくてしょうがない」と語っていた。妹の中山忍(51才)と頻繁に訪れていた焼き肉店の店長が語る。 「忍さんはお酒を飲まないのですが、美穂さんはお肉にあわせて、よく赤ワインを召し上がっていました。銘柄にこだわりはなく、店がおすすめするセレクトワインです。健康に気を使われていたので、もちろん野菜もまんべんなく召し上がっていた印象です。 最後にいらっしゃったのは3か月ほど前。バンドのメンバーや関係者のかたたちと一緒にいらして、いつもと同じ様子でお元気そうにされていたので、今回のことには本当に驚いています」 気にかかるのは、亡くなった日の午前2時半頃に、中山さんが所属事務所の関係者に仕事に関するメールを送信していたことだ。2024年9月に出演したバラエティー番組で、中山さんは「なんかだんだん眠れなくなってきちゃって……」と不眠の悩みを打ち明けていた。 「MCのマツコ・デラックスさんが『寝れないですよ。最近本当に』と相槌を打つと、『起きちゃいますね。寝れないし起きちゃうし』と、体内時計の乱れを訴えていました。事故の日も状況的に入浴した時間は深夜3時頃とみられ、安眠障害や中途覚醒に悩まされていた可能性も指摘されています」(前出・芸能関係者)  

《女優・中山美穂さんが芸人の浜田雅功にアドバイス求めた理由》ドラマ『もしも願いが叶うなら』プロデューサーが見た「台本3ページ長セリフ」の緊迫

「2人の芸人さんに演技のアドバイスを受けていた彼女の姿が忘れられません」──。12月6日、渋谷区の自宅浴室で急逝した歌手で女優の中山美穂さん(享年54)。検死の結果、所属事務所は死因について「事件性はなく入浴中の不慮の事故」と公表した。 NEWSポストセブンの取材に中山さんとの思い出を打ち明けたのは、1994年1月のドラマ『もしも願いが叶うなら』(TBS系)のプロデューサーを務めた横井直行氏だった。 同ドラマは、当時23歳の中山さんが天涯孤独のヒロイン・未来役を演じた。そんな彼女の前に突然、幼い頃に生き別れたという兄3人が出現。お調子者の長男役はダウンタウンの浜田雅功(当時30)だった。トレンディードラマへの出演が続いていた彼女にとって、久しぶりのコメディードラマだった。中山さんと浜田の息の合った掛け合いが話題となり、ドラマの平均視聴率は17.8%を記録。中山さんが歌った主題歌『ただ泣きたくなるの』は、ミリオンヒットとなった。 横井氏が中山さんを初めて見た当時を振り返る。  

中山美穂さんの葬儀終え 妹・忍さんコメント「祭壇は華やかで最後のステージのよう」(2024年12月12日)

亡くなった中山美穂さん(54)の葬儀が12日に終わったことを喪主を務めた妹の中山忍さん(51)が報告しました。 中山忍さんがコメントを出したのは中山美穂さんの公式サイトです。以下抜粋します。 姉を愛してくださったすべての皆様へ おかげさまをもちまして、姉「中山美穂」の葬儀が滞りなく執り行われたことをご報告申し上げます。 親族の希望で家族葬とさせていただきました。 最近での、一番のお気に入りだったドレスを纏い楽しそうに歌う姉の写真を中央に、好きだった色取り豊かな花々で飾っていただいた祭壇は、華やかでキラキラしていて、最後のステージのようでした。 どうか皆さま、姉のとびきりの笑顔を空を見上げたその声を、その歌声を、その指先を、忘れないでいてあげてください。 私にとって姉は「大好きなお姉ちゃん」であるとともに「みなさんの中山美穂」であり、「永遠のシャイニングスター」です。