中森明菜を襲った〝最大の危機〟体調不良で入院・療養 2010年、復帰の目途立たぬ中…ファンに「ベストテンのDVD出ますー」
【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】 デビュー30周年を前にした歌姫・中森明菜をデビュー以来、最大の危機が襲いかかった。 2010年10月28日、明菜が体調不良で東京都内の病院に入院・療養していることが分かった。この時は具体的な病名は明かされていない。しかし、関係者によると命には影響はないものの「深刻な状況」とし「音楽活動への復帰の見通しが立っていない」とした上で、11年1月末に発売予定だった新作のアルバムについては「すべて白紙に戻した」となった。 その後、ファンの間では「年末恒例のディナーショーが中止されるようだ」と大きな話題になった。しかし、関係者によると、ディナーショーについては明菜自身の体調もあって「早い時期から所属事務所とイベント会社の間で話し合われてきた」とも言われていた。 明菜の具体的な病名は明かされなかったが、一部のメディアが「帯状疱疹の悪化」と報じた。芸能関係者によると「過労と疲労からくる免疫低下で、実は年初めから仕事にも支障を来していたようです。どうやら明菜自身も担当医から『我慢も限界に達している。できるだけ安静が必要』と言われてきたようですが、無理に頑張っていたようですね」。 明菜は45歳のこの年、パチンコ業界の大手「大一商会」が発売したパチンコ新機種「CR中森明菜・歌姫伝説~恋も二度目なら~」のプロモーションについて「これだけは頑張りたい」と参加していたのだという。 明菜を起用した新機種は4年ぶりだった。しかも今回は、明菜本人をイメージした13種類のアニメキャラクター〝ちび菜〟を登場させ、さらに新機種用にオリジナル曲「CRAZY LOVE」まで制作していた。しかも大一は、新機種の発売に合わせて全国規模のキャンペーンを8月20日から9月30日まで大展開。9月には明菜を起用したテレビCMも大量オンエアした。 明菜自身も途中で投げ出したくはなかったのかもしれない。だが、キャンペーン終了の9月下旬になって容体が悪化、緊急入院したのだ。 この事態に明菜の所属事務所はユニバーサルミュージックと何度も協議を続けた。結果、いったんは容体を見ることにしたが、その後の病状の経過も思わしくなく「急な回復は望めない」と判断、無期限での音楽活動休止を決めた。 今後の活動について明菜自身は明確な意思を示していなかった。しかし「音楽活動への意欲は十分にあった」そうで、関係者は「今は治療に専念させ、復帰は体調を見ながら改めて考えていきたい」とした。復帰に目途が立たない状態で、周囲は「(再来年の)30周年はファンと迎えられるようにしたい」と話すのが精いっぱいだった。 年が明けて11年になっても明菜は入退院を繰り返し復帰の目途が立たない。アルバムは中止になったがデビュー30周年に合わせ、DVDBOX「ザ・ベストテン 中森明菜プレミアムBOX」が2月29日に発売された。約30時間にも及ぶ膨大な放送済VTRから「とにかく見どころ」ばかりを集め12時間45分に編集、5枚組のDVDで発売した。 「ザ・ベストテン」は1978年1月19日から89年9月28日まで放送されたTBSの看板音楽番組だった。この番組において1位獲得曲数は松田聖子の15曲を上回る歴代1位の17曲。しかも1位の獲得週間は69週間で、これも歴代1位だ。「まさに明菜は番組の歴史ともいえる存在だった」とTBS関係者。 このDVDBOXの発売に当たり、明菜は「DVDは可能な限りチェックした」そうで「ちょっと頑張ってみました」と、ファンクラブの会員向けだが「ずっと何もしてあげられないあたしですが…」と前置きした上で「ベストテンのDVDが出ますー。やったね!!! すっごくすっごく嬉しい!!!」と、現在の心情を最大限に表現していた。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二) ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。
平原政徳容疑者の車・自宅から数十本の刃物押収…模造刀など様々な刃物集めた経緯捜査 北九州市・中島咲彩さんら殺傷事件
福岡・北九州市の中学生殺傷事件で、逮捕された男の車や自宅から、合わせて数十本の刃物が見つかっていたことが分かりました。 12月14日夜、北九州市小倉南区のマクドナルドで中学3年生2人が刃物で刺された事件では、中島咲彩さん(15)が死亡し、男子生徒もけがをしました。 男子生徒に対する殺人未遂の疑いで逮捕された平原政徳容疑者(43)は容疑を認める一方、動機は、依然明らかになっていません。 捜査関係者によりますと、容疑者の車や自宅から押収された刃物は、合わせて数十本に上ることが新たに分かりました。 男子生徒の証言と一致する刃物のほか、模造刀などさまざまな形状のものも見つかったということです。 捜査本部は、平原容疑者が多数の刃物を集めていたいきさつについても詳しく調べています。
「問題なしね」誤進入に気づかないまま…海保機滑走路進入直前のやりとり判明 管制官と“進入許可”交信無なく指示内容誤認か 日航機・海保機衝突事故の経過報告書公表
2024年1月に羽田空港で起きた日本航空と海上保安庁の航空機事故で、海保機の機長らが「問題なし」というやりとりがレコーダーに記録されていて、誤進入に気づかないまま滑走路に進んでいたとみられることが新たに分かった。 羽田空港では、2024年1月2日、日本航空と海上保安庁の航空機が滑走路上で衝突し、海保機の乗員5人が死亡し、機長が重傷を負った。 25日公表された経過報告書によると「ナンバーワン。滑走路停止位置まで走行してください」という英語の指示について、機長は「滑走路に入って待機してください。離陸順位は1番と言われた」と話していて進入許可が出たと認識していたことが分かった。 また、海保機内のボイスレコーダーの記録が今回初めて明らかになった。滑走路へ入る直前に、機長と副操縦士との間で「問題なしね」「はい、問題なしです」というやりとりや、機長による離陸前の点検指示などが記録されていましたが、管制官との間に滑走路への進入を許可する交信はなく、指示内容を誤認していた可能性がある。 一方、滑走路に誤進入があった際に、管制官に注意喚起するシステムが、海保機が滑走路に進入した7秒後から事故が起きた1秒後までの1分8秒間で作動していましたが、管制官は気づかず、滑走路上の海保機を見逃していた。 このほか、日航機側も衝突直前まで海保機を認識していなかったということだ。 運輸安全委員会は、こうした複合的な要因が重なり事故が起きたとみて今後、最終報告書をまとめる方針だ。 (「Live News days」12月25日放送より)