Japan News

斉藤由貴 夫と離婚で財産分与も受けていた…“W不倫報道”の医師と関係継続で朝帰りの日々

冬晴れの朝、ロングヘアをなびかせながら仕事に出かけて行ったのは女優・水嶋凜(25)。 母親の斉藤由貴(58)が、愛車で自宅に帰ってきたのは、長女の“出勤”から1時間後だった。

サンダル履きで帽子を目深にかぶっており、表情はよくうかがえなかったが、朝帰り特有のけだるさが伝わってくる。

斉藤由貴 夫と離婚で財産分与も受けていた…“W不倫報道”の医師と関係継続で朝帰りの日々 | 女性自身
斉藤母娘を横浜市内の自宅付近で目撃したのは12月中旬のこと。

本誌は9月18日発売号で斉藤が自宅と、恋人の60代医師・T氏が住むマンションを行き来する生活を送っていることを報じた。それから3カ月、彼女の“二重生活”はいまも続いている。

1985年2月、『卒業』で歌手デビューした斉藤由貴。40周年にあたる25年2月から36年ぶりの全国ホールツアーを控えているが、実は私生活でも、ある“卒業”を果たしていたのだ――。

テレビ番組での斉藤の発言に注目が集まったのは12月17日だった。芸能関係者はこう語る。

「『めざまし8』(フジテレビ系)が斉藤さんを密着取材し、その様子を17日に報じたのです。一連の取材のなかで彼女は、21年に水嶋凜の芸名で俳優デビューした長女についてコメントしていました。

親子であることを公表していることについて、『正直言って、私の名前をずっと出さないほうがよかったんじゃないかな。(女優は)私が積んできたキャリアってこともあるし、いろいろなことがあったので』などと語ったのです。

特に“いろいろなこと”という言葉について推測する記事が複数報じられました」

斉藤は、故・尾崎豊さんや川﨑麻世(61)らとの不倫が報じられ、いつしか“魔性の女優”と呼ばれるようになった。

「さらに17年には、横浜市内でクリニックを経営している医師・T氏とのW不倫が発覚しました。『週刊文春』が斉藤さんの借りているマンションに、週に何度もT氏が訪問していることなどを報じたのです。斉藤さんも当初は関係を否定していましたが、『FLASH』が2人のキス写真を掲載し、不倫関係を認めざるを得なかったのです。

斉藤さんとT氏は一度、関係の解消を発表しましたが、その後、交際は復活したようです。『めざまし8』のインタビューでの“いろいろなこと”という言葉には、“不倫を繰り返してきた女優”と報じられている自分とは関係なく活動したほうが長女のイメージにはよかったのではないか、という母親としての煩悶や思いやりが感じられました」(前出・芸関係者)

■夫のI氏を“永遠の伴侶”と呼んでいた斉藤

だが実は“いろいろなこと”とは、不倫スキャンダルのことばかりではなかったのだ。斉藤の知人は本誌に次のように証言する。

「斉藤さんは夫のIさんと春ごろに離婚したのです。Iさんが自宅から出て、斉藤さんはお子さんたちと生活しています」

斉藤がI氏(59)と結婚したのは、30年前の1994年12月19日だった。同じモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)の信者であったことから前年に交際がスタートし、初対面から10日ほどで結婚を意識し始めたという。

当時I氏が、アメリカの大学に留学中だったことから、斉藤が渡米し、デートを重ねていたのだ。電撃結婚として話題を集めたが、その発表会見で、斉藤は次のように語っていた。

「性格や(今までの)生活が違う2人が暮らすのは大変なことで、何か共通のもの、たとえば宗教などが必要だと思います。

私は家族が教会員ですから、信仰にすごく大切さを感じました。もちろん、男性として彼のことは大好きです。(Iさんは)とても信仰の強い人。これから(私も)強くなれる可能性を感じていて、とってもうれしいです」

斉藤が00年に出版した自著『私の好きなあの人のコト』(新潮社)でも、彼女は夫婦生活についてこうつづっていた。

《お恥ずかしい話だが私は今のダンナさん以外、こんなに長く一人の男性とおつきあいした事がない。(中略)やっぱり現時点では、今の私にとって六年間一人の男性――人間と向かい合って生きて来た事実は、我ながらとてもびっくりするもので、又とても重い。(中略)なんとも言葉にし難い部分で、私達はお互いを永遠の伴侶に選んだ。文章を書いている人間がこういうのもおかしなものだが、この、”言葉にし難い“という部分に自分の人生を賭けたことに、私は至極満足している。人生なんて、そんなものだと思う》

著書によればケンカや意見の衝突も多かったというが、斉藤が“永遠の伴侶”と呼んだI氏との結婚生活は順風満帆だったといえる。

斉藤が“信仰が強い人”と評したようにI氏は敬虔な信者で、教会内での地位も上がっていった。また長女の水嶋も含めて3人の子供に恵まれ、08年には横浜市内に豪邸を新築している。

だが、その豪邸の不動産登記によれば、24年3月までに彼女は旧姓に戻っており、I氏が自分の持ち分を、斉藤に財産分与していることが確認できた。

■斉藤は女優の長女に「些細なミスはどうでもいい」と

前出の斉藤の知人が続ける。

「斉藤さんの報道では、“モルモン教徒だから離婚できない”という内容のものもありましたが、それは事実ではありません。モルモン教徒同士でも離婚に至るケースはあるのです。

ただ女優で自由奔放な性格の斉藤さんと、生真面目なIさんの結婚生活が30年近く続いたのは、やはり同じ信仰を持っていたこともあったと思います。それにもかかわらず、こうした残念な結果となったのは、T医師との関係の影響が大きかったのでしょう」

17年に発覚したT氏とのW不倫は、大きな波紋を広げた。斉藤は出演予定だったNHK大河ドラマ『西郷どん』を降板し、相手のT氏も離婚して、所有していた不動産を元妻に財産分与したのだ。

「一度は関係解消を発表しているように、おそらく斉藤さんは“T医師とは、もう二度と会わない”と、Iさんに言っていたのだと思います」(前出・知人)

だが6年後の23年11月、『週刊文春』により、斉藤がT氏のクリニックの前で泣き叫び、警察も出動する騒ぎがあったことが事細かに報じられた。

当時、斉藤は週刊文春の直撃に対して、関係が続いていることに関しては完全否定。さらに斉藤の所属事務所も週刊文春の取材に対して次のように回答していた。

《T氏とお会いすることについて(斉藤は)ご家族に報告していると聞いています。2017年以降、(T氏と)お付き合いはしておりません》

だが、不倫関係が継続していることを否定する斉藤の言葉を、どれだけ夫・I氏は信じることができただろうか。三重県に住むI氏の母も、週刊文春の取材に対して、こう語っていた。

「夫婦で解決することですので、私は一切口出ししていません。たぶん結論を出すのは息子の考えがまとまったとき。このままでいくことはないと思います」

電撃結婚から30年目でついに離婚を決断した斉藤。

「もちろんT医師への思いを捨て去ることができなかったということもあると思います。

それだけではなく、お嬢さんが今後芸能界で活動していくにあたって、“母は不倫女優”と揶揄され続けることを避けたかったのではないでしょうか」(前出・知人)

12月19日付の『夕刊フジ』のインタビューによれば、斉藤は長女・水嶋凜にこうアドバイスしたことがあるという。

「セリフを忘れようが歌の音程をはずそうが、そんな些細なミスはどうでもいい。心から演じなさい。その姿をお客さんは見に来るのです」

デビュー40周年を迎える斉藤は、子供たちやファンに“心からの歌や演技”を見せ続ける。

Related Posts

「自分が壊れてまで人に優しくするの無し」 中山美穂さん元夫・辻仁成の「お願い」に感涙「ブッ刺さって泣いた」

2024年12月6日に死去した歌手で俳優の中山美穂さんの元夫で作家、ミュージシャンの辻仁成さんが、21日にXを更新。「父ちゃんからのお願い」とするメッセージに、「刺さった」などとする反響が多く寄せられている。 「嫌われたくないからといって…」 辻さんは「自分が壊れてまで人に優しくするの無し」と呼びかけ、「嫌われたくないからといって、みんなに優しくすると必ず辛くなります」と説明した。 続けて、次のようにメッセージをつづった。 「優しい人と思われなくても生きていける今がきついなら、やめてよし無理して嫌われなくていいが無理して好かれなくてもいいのだとにかく周りは気にせず生きなさい」 この投稿に、ネットでは 「優しい言葉」「ブッ刺さって泣いた」「涙出てくる…」「今一番欲しかった言葉」 といった声が寄せられている。

愛子さまがインフルエンザに感染…上皇さま誕生日の祝賀行事への出席をご一家で取りやめ

上皇さまが91歳の誕生日を迎えられました。天皇皇后両陛下の長女・愛子さまはけさ、インフルエンザの診断をうけ、天皇ご一家は祝賀行事への出席を取りやめられました。 91歳の誕生日を迎えられた上皇さま。お住まいの仙洞御所では、午前中から祝賀行事が行われています。 弟の常陸宮さま、妃の華子さまら皇族方や職員の代表などから祝賀を受けると、上皇さまは感謝の気持ちを示されたということです。10月に脚を骨折した上皇后さまも杖をつかずに立たれていたということです。 天皇ご一家はけさ、愛子さまが侍医からインフルエンザと診断されたことをうけ、出席を取りやめられました。 宮内庁によりますと、愛子さまはきのう夜、38度台の熱と咳があったということです。両陛下の体調に変化はなく、愛子さまは27日まで日本赤十字社への出勤や行事への出席を控え、お住まいの御所で療養されます。 上皇さまは今年5月、戦時中の疎開先だった栃木県日光市を訪れ、8月には長野県軽井沢町に滞在してキャベツ畑を散策されました。 宮内庁は上皇さまの体調について、心不全の診断指標となるBNP値がやや高いものの、比較的安定した状態が続いているとしています。

愛子さまがインフルエンザ 上皇さまへのあいさつ取りやめ

宮内庁は23日、天皇、皇后両陛下の長女愛子さま(23)がインフルエンザと診断されたと発表した。両陛下に症状はない。 愛子さまは22日夜、38度台の発熱とせきの症状があり、23日朝に検査をしたところインフルエンザに感染されていることが判明した。27日まで予定していた行事などへの出席を控えるという。  愛子さまは23日午前、仙洞御所(東京都港区)で、この日91歳の誕生日を迎えた上皇さまと、上皇后美智子さまにあいさつをする予定だったが取りやめた。両陛下も大事をとって上皇ご夫妻へのあいさつを見送った。また、天皇陛下は23日夜の展覧会の鑑賞も取りやめた。【高島博之】

川島海荷、競泳・中村克選手との結婚を発表「人生の1つの分岐点を皆様にお伝えすることができて嬉しく思います」

俳優の川島海荷さん(30)が23日、SNSを更新し、競泳の中村克(かつみ)選手(30)と結婚したことを発表しました。 ご報告があります。私事ではありますが、わたし川島海荷は中村克さんと入籍いたしました」と報告。 続けて「彼の優しさに惹かれ、そして目標に向かって真っ直ぐ突き進んでいく力強さ、とても尊敬しています。私はまだまだ未熟者で至らないところが沢山あるのですが、彼と支え合いながら、そして切磋琢磨して、これからも変わらず頑張っていきたいと思っています」と心境をつづりました。 そして「2024年が終わろうとしている中、人生の1つの分岐点を皆様にお伝えすることができて嬉しく思います。いつも支えてくださっている関係者の方、そしていつも応援してくれている皆さん、2025年からもどうぞよろしくお願いいたします。年末くれぐれも体調などお気をつけて、良いクリスマス、そして良い年をお迎えください!」と喜びを明かしました。 ■中村選手もSNSを更新「彼女は優しく僕を照らしてくれる太陽の様な存在です」 川島海荷さんのインスタグラムより 一方、中村選手も自身のインスタグラムを更新し「彼女は優しく僕を照らしてくれる太陽の様な存在です」と川島さんへの思いをつづっています。 川島さんと中村選手は、ともに1994年生まれの30歳。川島さんは、ドラマ『怪物くん』など多くの作品に出演。また、2016年10月から2019年3月まで、朝の情報番組『ZIP!』3代目総合司会を務めました。中村選手は、2016年のリオオリンピック、2021年の東京オリンピックなどに出場しています。

中山美穂さんが“誤解”されていた「離婚と親権」そして「恋」…関係者は「批判は厳しすぎる印象があった」

女優で歌手の中山美穂さんが6日、東京・渋谷区の自宅で亡くなったことが分かった。54歳だった。 中山さんは同日の午後にビルボード大阪でライブ「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」を予定していたが、仕事現場に姿を見せなかったことから関係者が自宅を訪問したところ、自宅の浴槽で見つかった。その後、搬送先の病院で死亡が確認された。 現在、警視庁が亡くなった経緯や死因について調べているが、今のところ詳しいことはわかっていない。 「今月5日、中山さんはインスタグラムで東京・六本木ヒルズの森美術館で開催中の『ルイーズ・ブルジョワ展』を鑑賞したことを報告しています。一部では、その投稿の中の『2、3日心がえぐられて、一緒に行った友としか会話が出来なかった。 写真下手だけど、上手くてもなんにも表現できない』といった内容が注目を集めています。ただ、現場には遺書などはなく、5日の夜にも事務所関係者と仕事に関するメッセージのやりとりをしていたようです。浴槽内で見つかった状況から、溺死やヒートショックの可能性もあるとみられています」(民放テレビ局の情報番組スタッフ) かつてのトップアイドルにして人気女優の突然の訃報に、ネット上では「本当にショックです!」や「いまだに信じられない」「まさかミポリンが…」など驚きと悲しみの声があふれている。 6日夜には所属事務所も公式サイトでコメントを発表。 「日頃よりお世話になっている関係者の皆様及び応援してくださっているファンの皆様に、突然このようなお知らせをすることになり、心苦しいばかりですが、あまりに突然の出来事で、弊社も驚きと悲しみで呆然としております。なお、死因等の詳細は現在確認中です」と悲痛な思いをつづっている。 中山さんは1985年年にTBS系ドラマ「毎度おさわがせします」で女優デビュー。同年に『C』で歌手デビューを果たし、80年代半ばから90年代にかけて「ミポリン」の愛称でトップアイドルとして人気を博した。

中山美穂さん急逝 「結婚するために芸能界入り」大ファン公言のTOKIOメンバーにも心配の声

12月6日、俳優の中山美穂さん(54)が東京・渋谷の自宅で亡くなっていたことが分かった。各社報道によると、関係者によって浴槽で亡くなっているのが発見されたという。 同日夕方からは中山さんのクリスマスコンサート「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」の大阪公演が予定されていたが、昼過ぎに「中山美穂の体調不良の為、公演を中止する運びとなりました」との発表が行われていた。 ’85年のシングル「C」で歌手デビューし、「花の85年組」の一角として絶大な人気を博した中山さん。’95年には映画『Love Letter』で『第38回ブルーリボン賞』主演女優賞を受賞するなど俳優としても活躍した。 突然の訃報に、Xでは追悼の声が広がるなか、中山さんの“大ファン”を公言していたミュージシャンにも心配の声が寄せられている。 《松岡くん大丈夫かな…中山美穂好きだったよね…》 《ミポリンの大ファンの松岡くんとか、、大丈夫かな…いろんなとこで影響起きそう》 《松岡くんはショックだろうな ミポリンのこと直視できないくらい憧れの人だったみたいだし》 そのミュージシャンとは、「TOKIO」の松岡昌宏(47)だ。 「松岡さんは、中山さんが出演した『ビー・バップ・ハイスクール』『ママはアイドル!』がきっかけでファンになったそうで、’18年に放送されたバラエティ番組『TOKIOカケル』で中山さんがゲスト出演した際には、『芸能界に入るキッカケ、”中山美穂と結婚するため”って言ってた』と熱烈な思いを打ち明けていました。さらには、子どもの頃に中山さんと付き合う夢を見たとも。去年にも同じ番組で二人は共演していましたが、松岡さんはやはりデレデレでしたね。中山さんを見て育った多くのファンにとってそうであるように、松岡さんにとっても永遠の憧れなのでしょう」(芸能ライター) 中山さんは’02年に作家の辻仁成(65)と結婚している(’14年に離婚)。当時の松岡は、結婚の報告を“本人”から伝えられたといい、かなり堪えたそうだ。 「松岡さんは今年2月、パーソナリティを務めるラジオ番組『松岡昌宏の彩り埼先端』で、“この人が結婚して一番ショックだった人”に関すエピソードを披露。松岡さんが25歳前後の頃、出演していた舞台終わりに“作家の男性”と食事を共にし、帰り際に男性から『俺、結婚するんだよね』と告げられたそうです。そして、男性の結婚相手が中山さんだと伝えられると、松岡さんは“半泣きしそうになりながら”祝福したと当時を振り返っていました」(前同) 松岡の熱い思いは最近も続いていた。今年10月に松岡が投稿したYouTube動画では、松岡が都内を散策する様子を公開していたのだが、その際にロケ先で履いていたのは……。 「今日だってこれ、ミポリンからもらったサンダルですよ?トキカケ(TOKIOカケル)のときにいただいた」 そう話す松岡の口ぶりは、少年のように軽快だった。今回の訃報に、松岡は何を思うのだろうか——

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *