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中山美穂さん葬儀終える…愛息とも”再会”し天国へ 妹・中山忍「永遠のシャイニングスター」【コメント全文】(スポーツ報知)

6日に入浴中の不慮の事故で急死した女優・歌手の中山美穂さん(享年54)の葬儀が12日に営まれた。同日、所属事務所が公式サイトで発表した。

葬儀は家族葬の形で、実妹で女優の中山忍(51)が喪主を務めた。親族、所属事務所関係らによる少人数の式だったという。

公式サイトの全文は以下の通り。

本日、青空が広がる清々しい天候の中、中山美穂の火葬を無事に終えました。

葬儀は家族と事務所関係者のみで執り行われました。

祭壇には、優しいピンクや清らかな白、明るい黄色の花々に加え、深紅のダリアがひときわ印象的に飾られ、美穂さんの情熱的で華やかな一面を思い起こさせるようでした。

会場全体が色鮮やかな花々に包まれ、生前の作品や思い出の写真とともに、彼女の功績を皆で称える時間となりました。

穏やかな雰囲気の中、故人を見送ることができましたのも、報道関係者の皆さまやファンの皆さまがご配慮くださり、静かに見守っていただいたおかげです。

心より感謝申し上げます。

最後に、喪主である中山忍様より、コメントをお預かりしています。

===中山忍様からのコメント===

「姉を愛してくださったすべての皆様へ」

おかげさまをもちまして、姉「中山美穂」の葬儀が滞りなく執り行われたことをご報告申し上げます。

親族の希望で家族葬とさせていただきました。

最近での、一番のお気に入りだったドレスを纏い、楽しそうに歌う姉の写真を中央に、好きだった色取り豊かな花々で飾っていただいた祭壇は、華やかでキラキラしていて、最後のステージのようでした。

お別れまでのほんの数日間ではありましたが、子供の頃に戻って枕を並べ、姉の横顔を見つめながら眠りについたこの穏やかなひとときは、私の宝物となりました。

そして、何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした。

静かに見守ってくださったマスコミ関係者の皆さま、ご配慮いただき本当にありがとうございました。

姉は一生懸命な人でした。ちょっと頑固で、バカみたいに正直で、本当は傷付きやすい心を見せず、何があっても自分の責任だと、真っ直ぐ前を向く勇気がある人でした。

自慢の姉でした。

どうか皆さま、

姉のとびきりの笑顔を

空を見上げた

その声を、その歌声を、その指先を、

忘れないでいてあげてください。

私にとって姉は「大好きなお姉ちゃん」であるとともに「みなさんの中山美穂」であり、「永遠のシャイニングスター」です。

これからは皆さまが姉を思い出してくださる時、そのきっかけのひとつとなれますよう、

その思い出があたたかなものでありますように、私も俳優として、より精進して参ります。

見守ってくださいましたら幸いです。

良いときも悪いときも

別れ際に姉はいつも

「じゃあ、忍、あとはよろしくね」と

軽やかに笑って去っていきました。

最後の最後まで、、、。

とても「姉らしい」と思われてなりません。

生前の姉へ、あたたかな眼差しと、愛情をかけてくださり、心から感謝しております。

重ねて御礼申し上げます。

皆さま、本当にありがとうございました。

感謝の気持ちを込めて。

2024年12月12日

中山忍

また、お別れの会の詳細につきましては、決まり次第改めてご案内させていただきます。

改めて、生前中山美穂に関わり、支えてくださったすべての皆さまに心より感謝申し上げます。

彼女が遺した数々の作品や記憶が、これからも心の中で生き続け、皆さまの日々を彩る一部となることを願っています。

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