ひき逃げか 軽乗用車と原付バイクが衝突 新聞配達員の男性が死亡 乗用車の運転手は現場から逃走

8日朝、岐阜県瑞穂市で軽乗用車と原付バイクが衝突し、原付バイクの男性が死亡しました。軽乗用車を運転していた人物は現場から逃走していて、警察はひき逃げ事件として調べています。 警察によりますと、8日午前5時すぎ瑞穂市別府で、通行人から「バイクが道路に倒れていた」などと警察に通報がありました。 警察がかけつけたところ、現場に横転した軽乗用車と転倒した原付バイクがあり、原付バイクに乗っていた瑞穂市の新聞配達員・井上哲也さん(53)が倒れていて、井上さんは病院に運ばれましたが、出血性ショックで死亡しました。 一方、軽乗用車を運転していた人物は行方が分からなくなっていて、警察は原付バイクと衝突した後現場から逃走したとみて、ひき逃げ事件として、運転していた人物の行方を追っています。

「誰もいない担架を救急車に載せていて…」中山美穂さんの急死…居住ビル関係者が明かした「緊迫の光景」

”ミポリン”の愛称で親しまれた、歌手で女優の中山美穂さん(54歳)が6日、東京・渋谷区にある居住ビルの浴室で死亡しているのが見つかった。同日夕方からは自身のコンサートライブ「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」の大阪公演が控えていたが、午後2時ごろに突如として中止が発表。中山さんの訃報が流れたのは、まさにその40分後の出来事だった。警視庁は事件性は低いと見ており、死因を慎重に調べている。 誰も乗っていない担架 「正午すぎくらいに救急車のサイレンが聞こえて、ビル内が騒がしくなったんですよ。その後、外に出たら救急隊員も引き上げる途中で、誰もいない担架を車内に入れようとしてました。だから『何もなく平和に終わったのかな』と思っていたのですが……」 中山美穂さんが亡くなったビルの関係者は、当時の様子を思い出しつつ、そう声を震わせた。 現場となったのは、JR恵比寿駅から徒歩10分ほどの7階建てビルの一室。12月6日に事務所関係者が家を訪ねたところ、中山さんが浴室で倒れているのを発見して119番通報、駆けつけた救急隊員によりその場で死亡が確認された。 中山さんは当日夕方から、自身のコンサート「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」(自身のコンサートライブ)の大阪公演を開催する予定だった。当日の午前7時まで、事務所スタッフと仕事のやり取りをLINEしていたが、予約していた大阪行きの新幹線に午前9時ごろになっても現れなかったため、複数にわたって連絡した後、自宅に向かったという。 「自宅で中山さんは水を張った浴槽に座り、前かがみの状態で亡くなっていました。部屋は施錠されており、発見時も1人だったということで、警視庁も事件性は低いと見ています。現場の状況から、浴室に入ったときに急激な温度変化によって血圧が大きく変動して、体に悪影響を及ぼすヒートショックや、なんらかの理由で浴槽で溺れた可能性もあるとみて死因を調べています」(捜査関係者) 「テレビで見るときのイメージと違った」 この日、午後3時半を回るころには、東京・渋谷区の一等地にある閑静な住宅街には禍々しい雰囲気が漂っていた。マスコミ関係者や近隣住民などを合わせると、のべ30人以上が中山さんの居住ビル前に詰めかけていた。 1階の入り口前には、灰色のハイエースの警察車両が止められていて、後方部もブルーシートで覆われているため中は確認できない。午後4時を過ぎたころには、居住ビル前には規制線が貼られた。その20分後には、警察車両が走り去っていった。その様子を固唾を飲んで見守っていた女性は、「実は以前、一度だけ中山さんを見かけたことがあって……」と話す。 「ちょうど6月くらいだったかな。このビル前の通りですれ違ったんだけど、テレビで見るときのイメージとは違って、無印とかユニクロで売ってそうな、素朴なお洋服を着ていました。それでもやっぱりスタイルが違うし、オーラもあるからかな。『あ、中山美穂さんだ』ってすぐに気づきました。それからは陰ながら応援してたんだけど、まさかこんなことになるとはねえ、やっぱり言葉が出ませんよ」 中山さんが住んでいたビルは、4階までが事務所などが入るオフィスになっており、5階以上が居住スペースになっている。住民自身が住むフロア以外にはエレベータが止まらない構造のため、同居住ビルの関係者からは「一度も見かけたことがない」と言われるほど、中山さんは影の薄い存在だった。 Photo by…

大量の薬や遺書などは見つからず…中山美穂さん 近隣住民が見た当日の異変と「空白の10時間」の謎

早すぎる死に、芸能界からも悲しみの声が上がっている。 12月6日、歌手で俳優の中山美穂さんが東京・渋谷区内の自宅で亡くなった。享年54だった。交友関係の広かった中山さんだけに、各界の著名人からあまりに急な別れを悲しむ声が上がった。 1985年デビュー組の森口博子(56)は自身がパーソナリティを務めるラジオで、〈音楽を頑張っていこうってお話をしていたんですけど、あまりにも突然で……。私も気持ちの整理がつかなくて、ごめんなさい〉と明かした。 同じく85年組の浅香唯(55)は自身のインスタグラムを更新し、〈同期という中でも美穂ちゃんは一目置かれる特別な存在(中略)人見知りだった私を気遣うように優しい笑顔で話しかけてくれてた美穂ちゃん 本当はちゃんと会ってありがとうが言いたかったです〉と投稿した。 中山さんの代表曲『世界中の誰よりきっと』の作詞を共に担当したロックバンド『WANDS』の元ボーカル・上杉昇氏(52)も〈急な悲報に触れ、ただただ驚き愕然とするばかりです。一緒に歌ってくださったこと、ありがとうございました〉とコメントを発表。また、俳優としても幅広く活躍していた中山さんには、竹中直人(68)や片岡愛之助(52)らも追悼コメントを寄せた。 「事務所関係者が中山さんの自宅を訪れ、110番をしたのが6日の昼0時ごろ。その場で亡くなっていることが確認されたといいます。家の中には中山さん1人だけで、鍵もかかった状態だったそうで、現時点では事件性は低いと考えられています」(全国紙社会部記者) 6日の夜8時過ぎ、実妹の中山忍(51)が報道陣の前に姿を現し、コメントを発表した。 「遅くまで、皆さん申し訳ございません。突然のことで、今……お話しできることが何もありませんので、改めまして、お話しさせていただくことがあると思いますので」 そう語ると、深々とお辞儀をし、関係者が運転する送迎車に乗り込んでいった。 ◆前夜には「ツアー打ち上げの予定」を相談 中山さんは12月1日から横浜、大阪、東京の3都市を回るライブツアー『Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billbord Live』をスタートさせていた。6日夜には大阪でのライブを控えていた中での訃報。本誌記者の取材に応じた近隣住民が、当日の様子を明かす。 「12時過ぎ、消防車と救急車、ドクターカーがサイレンを鳴らしてやって来ました。それから買い物に行って5分くらいして戻ってくると、ストレッチャーで人が建物から運び出されているところでした。もちろん中山さんが住んでいるなんて知らないので、あまり気にもしていなかったんですが……」 捜査関係者によると、前日の夜11時ごろまでは事務所関係者とのやり取りが確認されている。一部では「6日朝7時に連絡が取れた」との報道もあるが、事務所関係者からのLINE送信はあったものの、既読になったかは明らかになっていないという。その後、6日朝9時頃にライブに向かうために品川駅に集合する予定が、中山さんは現れなかった。この「空白の10時間」の間に、中山さんは亡くなったとみられている。 この10時間の間に、一体何があったのか……。SNSではさまざまな憶測が飛び交っている。特に、亡くなる前日にインスタグラムに上げられた 〈2、3日心がえぐられて、一緒に行った友としか会話が出来なかった。写真下手だけど、うまくてもなんにも表現できない〉 という投稿が注目を集めているが、捜査関係者は「死因はまだ断定できない」と明かす。 「発見当時、中山さんは水を張った浴槽に、前屈みの状態で見つかったそうです。死因についてはまだわからないが、現時点で遺書は見つかっていない。また、睡眠薬などの市販薬が大量に見つかったといったこともなかった。当局としては、中山さんが自ら極端な選択をした可能性は低いと考えています。 状況から考えられるのは、何らかの要因で昏倒し、長時間にわたり顔がお湯に浸かったことによる窒息か、急激な温度変化によるヒートショックなど。現在は、さまざまな可能性を含めて捜査が進められています」 中山さんは5日夜、ライブツアーが終わる15日の打ち上げについて、事務所関係者と相談していたという。また、デビュー40周年となる来年にもさまざまなイベントが予定されていた。そんな中での中山さんの訃報に、日本中が悲しみに包まれている。