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中山美穂さん死因、8日にも判明 自宅に妹の中山忍らの姿も お別れの会など日程は未定

女優中山美穂さんが54歳で急死した日から一夜明けた7日、遺体の発見された自宅マンションには妹で女優の中山忍(51)や所属事務所関係者らが姿をみせ対応に追われた。関係者などによると、今日8日にも解剖が行われ死因などが明らかになるという。中山さんゆかりの脚本家や飲食店からも突然の死に無念の声が上がっている。

中山美穂さん死因、8日にも判明 自宅に妹の中山忍らの姿も お別れの会など日程は未定 - おくやみ写真ニュース : 日刊スポーツ

54歳急死の中山美穂さん自宅に妹、中山忍の姿 報道陣に深々と頭下げる - おくやみ写真ニュース : 日刊スポーツ

中山美穂さん死因、8日にも判明 自宅に妹の中山忍らの姿も お別れの会など日程は未定(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

7日午後1時過ぎ、前日夜にも訪れていた中山忍が中山さんの自宅マンションに姿をみせた。乗ってきたワンボックスカーから降りると報道陣に深々と一礼しエントランスに入った。この日も憔悴(しょうすい)しきった様子で、言葉を発することはなかった。自宅周辺にはこの日も報道陣をはじめ、マンション前で手を合わせる人の姿が多くみられた。

 

関係者によると中山さんの遺体は8日にも解剖が行われ、死因究明を目指すという。遺体も8日以降に自宅へ戻る見込みで、通夜、告別式、お別れの会などの日程は未定。喪主は忍が務める見込みだという。忍はこの日、関係者らと葬儀などの相談や、中山さんの自宅の遺品整理などを行っていたという。

捜査関係者によると、中山さんは6日、湯を張った浴槽の中で動かなくなっていたところを発見された。同日は大阪市内で夕方、夜とコンサートが予定されていた。午前9時にJR品川駅発の新幹線に乗るはずが、待ち合わせ場所に来なかったため、事務所関係者と知人が自宅を訪問。変わり果てた中山さんを発見、110番通報し、正午頃に死亡が確認された。自宅には鍵がかかっており、事件性はないとみられ、病死の可能性がある。

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中山美穂さん元夫・辻仁成氏の“金言”にネット反響「心が軽くなる」「一番言ってほしかった言葉」

今月6日に死去した中山美穂さん(享年54)の元夫で、ミュージシャン、そして作家の辻仁成氏(65)が21日に自身のX(旧ツイッター)を更新し「父ちゃんからのお願い」をつづった。 辻氏は「父ちゃんからのお願い」と切り出すと「自分が壊れてまで人に優しくするの無し 嫌われたくないからといって、みんなに優しくすると必ずつらくなります 優しい人と思われなくても生きていける 今がきついなら、やめてよし」とポスト。 また「無理して嫌われなくていいが無理して好かれなくてもいいのだ とにかく周りは気にせず生きなさい」とつづっていた。 ユーザーからは「何だか、一番言ってほしかった言葉をかけてくれている感じがした」「心が軽くなります」「父ちゃんからのお願い、受けとめました」「どうして仁成さんは そんなに強いんだろう ひとつひとつの言葉に助けられる」「辻様も、良い旅を!」といったコメントが寄せられていた。

フィギュア青木祐奈が突然の引退意向を表明 「これ以上スケートを嫌いになりたくない」涙で最後の全日本と告白

全日本フィギュア・女子フリー フィギュアスケートの全日本選手権は22日、大阪・東和薬品RACTABドームで女子フリーが行われ、22歳・青木祐奈が194.07点で終えた演技後に引退する意向を示した。冒頭で3回転の連続ジャンプが単発になり、後半の3回転ルッツで転倒するなど不完全燃焼の演技に。「これ以上スケートを嫌いになりたくない」などと語った。 テレビ取材で今回が最後の全日本になると明かした青木。続いての囲み取材で「全日本が終わったら(去就を)考えようと思っていた」と話した上で「全日本までの期間が、今まで自分がやってきた中で一番良い練習を積み重ねて、これ以上ないくらいやって、この内容だったのはここまでかな」と涙ながらに打ち明けた。 「今シーズン、NHK杯の結果(3位)を得ることができて、ここで出し切れて、次につながるものがあれば続けようかと思っていたけど、満足したというか、これ以上スケートを嫌いになりたくないので、楽しく滑って終われて良かったです」 22歳。当初は大学卒業を迎える昨シーズン限りで引退を考えていたが、2023年のNHK杯で5位に入ったことで翻意。「(今シーズンは)いろんな試行錯誤して、やり切ったというか、試合では(練習の質を)出し切れなかったけど、それが自分のスケート人生かな。最後、皆さんの前で笑顔で終われたので」と胸中を明かした。 まだまだ日本女子のトップ戦線にいるのも事実。しかし、本人は「全日本までに一番良い練習を積めていて、もうやり切った感覚があった。それで次につながるものがあれば、続けたい気持ちだったけど、もうたぶんないので」と話した。最終的にはコーチや両親と話して決断するというが、すでに心は決まっている様子だった。 「(冒頭の)ルッツ―ループが決まらなかった段階でのびのび滑ろうというか、肩の荷が下りたというか。最後まであきらめず、コレオとステップのところではこの景色が最後だなと思った」と回顧。「この先、国体とかもあるけど、それは楽しく滑りたい」と笑みをこぼし、今後もアイスショーなどで滑っていくつもりという。

49歳・内田有紀 「更年期の始まり」告白も「歳をとることは素敵なことだなと。飾らない自分で」

女優の内田有紀(49)が18日、「2024美的ベストコスメ大賞『ベストビューティー』受賞者発表会」に出席。「美的GRANDベストビューティーウーマン」に選出された喜びを語り、自身の生き方についても触れた。 黒のチュールをあしらったドレスで登場。美しいデコルテが目を引いた。トロフィーを手に満面の笑み。「良いんでしょうか私で…」と謙遜しつつも、「ちょっと照れくさい気持ちもある。50代を迎えるにあたって素敵な賞を頂けて、改めて歳をとることは素敵なことだなとつくづく思った」と喜びをかみしめた。 「若い頃から、早く年を重ねていきたいと思っていた」という内田。「自分の考えだったり思いであったりが全て経験値に出る」と感じており、「自分が言う言葉一つ一つが皆さんのハートに届くように。自分が人生をつまずきながら、悩んで出した結果が今の自分に全て現れているんじゃないかなと思うので、40代最後のこの年で素敵な賞を頂けて励みになる。これを糧にして努力を続けて、飾らない自分で素直に重ねていけるように」と、“自分らしさ”が内田の美しさを引き出す要因の一つとなっている。 年齢を感じさせない美貌が光るが、最近は予期せぬ不調を感じる事も。「汗が止まらなくなったり、謎の痛みとかね…。そういうことが増えました。更年期の始まりですよね。年齢的にはそういった年齢ですから」と、ありのままを包み隠さず語る。同年代や先輩と悩みを打ち明け合っては「気持ちを落ち着かせている」ことが支えになっているという。 今年は新しい出会いや、うれしい再会もあり「信頼関係を深められる一年になった。素直に生きていると良いことあるな、飾らないでかっこつけないで生きると良いなと改めて思えた」としみじみ。 「一緒に明るくハッピーに、時にはちょっと泣いてもらったりしながら過ごしていければ。これからもみんなで手をつないだ気分で年を重ねていけたらと思っております」と今後も“自分らしさ”を体現していく。 本賞は、読者の投票によって選ばれた“今年最も輝いている人”に贈られる。

『金スマ』飯島愛さんVTR「あれから16年が経ちました」 反響続々「演者をこんなに思ってくれる番組、他には無いよなぁ」

13日放送のTBS系バラエティー『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』では、同番組に出演しており、2008年12月に亡くなったタレント・飯島愛さん(享年36)をエンディングで追悼した。 エンディングでは「飯島愛さん あれから16年が経ちました」とのテロップが表示され、当時の飯島さんの映像とともに、初回からナレーションを務め、2021年に亡くなった八奈見乗児さんのナレーションで「今年もあとわずか。この時期になると、飯島愛さん、あなたを思い出します」とコメント。最後に「そんな愛ちゃんでも、聞いたら驚くようなことが、今年たくさんありましたよ。これからも見守っていてくださいね」と呼びかけた。 SNSでは「飯島愛さん、すごく好きだった。 彼女を偲びいつまでも忘れない金スマ、ステキな番組だね。」「毎年この時期になると飯島愛ちゃんの映像が流れる 演者をこんなに思ってくれる番組…… 他には無いよなぁって」「飯島愛さん カッコいいお姉さんだったな… 今の日本を見ていたらなんて言ったんだろう」「飯島愛ちゃん 人を傷付ける様な発言をせず、ズバッと言う人だった…。 今年も飯島愛ちゃんのことを放送して下さった金スマさん、ありがとうございます」などといった感想が寄せられている。

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